3か月にわたって放送されたこのドラマもついに最終回となりました。
本作と「青島くんはいじわる」の各話感想やってみたけど、こういうの常々やってる人マジですごいなーと思いましたわ。よほど好きじゃないとなかなかできないかも。2作品でへろへろです。やってみてよかったとは思う。
というわけで、最終回感想行きます。
冒頭。
おにぎりを握る水季と、3人分の朝食が並んだこぎれいなダイニングテーブル。海が髪結んでもらおうと水季に声をかけ、パパにやってもらいな~と呼ばれたパパは、夏くん。3人とも笑顔で、ごくありふれた、でも幸せそうな朝の風景……からの、暗転。
夏くんが見てた夢だった。
水季の死を知る前は、もう思い出す事も無くなっていたのかもしれない。でも今、海と出会って、夢の中に立ち現れる水季はくっきりと在りし日の姿で。
なかなかしんどい寝覚めだね。
前回、家出した海は南雲家にいる。気が晴れず、朝ごはんも食べずに縁側でごろごろしている海に向かって朱音がおにぎりを渡しながら、水季が亡くなった時の話をする。「海のために生きなきゃいけないから」水季が死んだ日にもご飯を食べた、という朱音。
実際のところ、一食くらい抜いたところで人は簡単に死にはしない。でもたぶん問題なのは、食事をしないことが許されてしまうと、そこからずるずると生きるための営みが崩れていってしまうきっかけになり得ることなのだと思う。だから辛くても食べる。自分がいま生きていることを、自分の意識にちゃんとわからせるために食べる。死んだらもう食べられないし、食べなくてもよくなる……ということは、食べないことは容易く死に結びついてしまうのだ。
夏の家では夏の母・ゆき子が差し入れに持ってきたかぼちゃの煮物を食べなさいと夏に促していた。引き下がらないゆき子に半ば仕方なく、煮物を口に運ぶ夏。
離婚したての頃、無邪気に父の不在を訊ねてくる夏を「もういないよ」と言いくるめ「いないことにしてしまった」と謝るゆき子。子どもって恐ろしいくらい親の言うことをよく覚えていることがあるけれど、あれって何なんだろうね。頭に焼き付いちゃうのかな。私もギョッとすることたまにあった。大抵はネガティブ感情をついうっかり吐き出した時、それを覚えている子供らに申し訳ない気持ちになったな。
弥生と夏の通話。海からの伝言として「夏くんとママの話したかった」んだって!と話す弥生さん。弥生さん大人だよな。”夏くんがちゃんとパパやってくれないと、せっかく今のびのび生きてる自分に新たな罪悪感が生まれちゃう”って、夏にハッパかけてる。弥生さんも夏くんを失って心に隙間が出来ちゃったのかな。それを埋めるために、精一杯自分を甘やかそうと自分の為だけのコロッケ、作ってたもんね。手っ取り早く達成感を得るには料理おすすめです。手の込んだ料理を完成させて(達成感)、自分が美味しくいただく(満足感)。長年、家族ありきでご飯作ってるともう自分の為だけに手の込んだものを作ろうなんて思わなくなってしまうんだけどね(苦笑)なので私は水季同様コロッケはスーパーのお惣菜派です。
海を迎えに南雲家に来た夏くん。海との仲直り。「俺も、(水季が)いなくなって寂しいよ」ああ、そういえばこの人、ずっと、長いこと、ここではこの気持ちを吐き出せてなかったよな……自分よりも辛そうな人を前にして(自分如きが…となって)悲しいと言えなかったんだもんね。海ちゃんは、夏くんに、自分と一緒に寂しがってほしかったんだね。それでも寂しかったらどうしたらいい?と問われて、ようやく海の求める正解がわかった夏くんは、「津野君や弥生さんと会ってもいいし、行きたいとこ行って会いたい人に会えばいい。海ちゃんがさみしくなくなるまで待ってる」
前段、弥生さんとの会話の中で、弥生さんが中絶してしまった子を思うと淋しくて仕方なかった、忘れようとすると余計、だからエコー写真を飾ってお墓も用意して「忘れないことにした」と。でも忘れなくていいと思うと安心して忘れることができた、と言っていたのだけれど、夏くんと海ちゃんの間で交わされた話はそれと同じなのかもしれないな。
健康で、日々を充実させて幸せに生きていたら、自然と思い出すことも減っていくんだね。
よく「葬式は死んだ人のためじゃなく残された人のためにやる」というのを聞くけれど、これもそういうことなのかも。法事も一周忌・三回忌・七回忌…とだんだん間遠になって、そのうち「忘れない」ことから「思い出す」ことになっていくものね。
朱音さんが夏くんにおにぎりをすすめて「ちゃんと食べて健康でいて」というシーンも切なかったな…。
再び夏と海の2人暮らしが始まって、突然の休日出勤の連絡。
でももう今の夏は一人だけで何とかしようとしないし、海を一人きりで待たせるようなこともしない。これまで水季と海を支えてくれた人に甘えることもできるようになった。それが真っ先に津野君なのにはさすがに笑ったけど。海ちゃんが一番懐いてるもんね。海ちゃんは海ちゃんで弥生さんに声かけてるし、大和はなぜかやってくるし(笑)、夏不在でも賑やかに過ごせてて、よかった。
ここで入る過去のシーン2つ。
1つは、保育園のイベント帰りに寝ちゃった海を抱く津野と水季が歩くシーン。これを見る感じだと(あと特別編も見てるから)このまま水季が健康で過ごしていたらゆくゆくは結婚もあったかも…?と思えるようなやり取り。
もう1つは、居眠りしている海を眺めながら昔のことを思い出す弥生さん。これってたぶん最初に夏の家に泊まった時の話だよね。ってか、こんなに初心ラブなシーンを演じる目黒さん!別れの時の終電の話もこのやりとりがあったからなのかー!
夜になったのであとは大和くんに任せ帰ることにした弥生さん、その帰り道で夏とばったり会う。駅までの道々の二人の会話もね…
弥生さんが今日のことを「楽しかった」と伝えたら「…俺も楽しかったよ」と、これは弥生さんと恋愛関係にあった日々を振り返って、の感想なんだね。ああああ、お別れなんだね。夏くんのなかでも踏ん切りついたんだね。
このあと、水季の手紙を海と共に読む夏。一人で産んだことは後悔していないし、海と過ごせて幸せだったこと、「海と生きることを選んでくれてありがとう」と結ばれたこの手紙の署名は”水季より”ではなくて”海の母より”になっていて、水季があの時何を選択したのかがはっきりわかった気がした。水季は母になった自分を全うして生きたってことだね。傍からの意見としては、やっぱりちゃんと治療してもう少し、あと1年でも2年でも長く海ちゃんと生きてあげて欲しかったという気持ちもある。でも、こればかりは自分が同じ立場に立った時どう選択するか、自分でもわからないからなー。なんとも言えん…。
遊びに行く前に南雲家に立ち寄る海と夏。縁側で、水季の昔の写真を見ているうちに眠ってしまった海を眺めながら朱音が話す。
「娘が自分より先に死ぬこと想像してみて 娘の遺影を選ぶのがどんなにつらいことか今ならわかってくれるかなって」
これは、想像できる…。私にも子どもがいるからさ。「全部かわいくて選ぶの大変だった」そうですよね。その気持ちにありありとした共感が生まれてしまって何度見ても泣いてしまうシーンでした。
縁側で話す水季と朱音の過去のシーンが挿入される。海を生むという選択をしてよかったと話す水季。娘が先に死ぬより自分が先に死ぬ方が、と母である朱音を前に言い、そのこと(逆縁になってしまうこと)を「ごめんね」と謝る。海がいるから、寂しくても後追いはしない、できない、と朱音さんは心に決めたのかな。
ラスト、海辺を歩く海と夏に、水季の書いた手紙の追伸が重なる。「海はどこから始まってるの?」とかつて海に問われて曖昧な答えしかできなかったし、結局「はじまりは曖昧で、終わりはきっとない。」親であることもきっとそうだと。曖昧なうちに父親になった夏と、今はここにいないけれど母親として”いた”ことは間違いない、水季。
海とただ一緒にいてあげて欲しいと願う文面は次のように締めくくられる。
「いつかいなくなっても、一緒にいたことが幸せだったと思えるように。」